◆原子核とは何だろうか?◆

【はじめに】

一核物理徒が思う“原子核”に関する話題を書いていきます。とはいっても、原子核について、網羅できるわけではないので、学んだことのごった煮みたいになると思います。

核物理学の研究内容は、以下の二つに大別できます。

  • クォーク・グルーオンの自由度からハドロンの性質を議論する。
  • ハドロン(特に、陽子と中性子)の自由度から原子核の性質を議論する。

僕の専門は後者に分類されます(前者はハドロン物理などと呼ばれます)。特に、原子核の構造や反応を理論的に扱っています。それらのことを、核構造論や核反応論といいます。

【私たちは原子でできている。これがとても大切。】

物理学の進展は、僕たちの世界観(特に物質観や宇宙観)を広げてくれます。現代に生きる僕たちは、太陽系や銀河系といった広大な宇宙や、一つひとつの細胞やその中にあるDNAなど、さまざまことに思いを馳せることができます。

ここでは、DNAよりも、もっと小さな世界について考えてみたいと思います。このことは、「(身の回り)物質は何からできているのだろう?」という物質観の追及に他なりません。

古代ギリシアの問いかけから現代科学の挑戦を経て、僕たちは「(身の回りの)物質は全て小さな“つぶつぶ”からできている」という物質観を手に入れました。小さな“つぶつぶ”とはすなわち、原子のことを指します。したがって、ミミズもオケラもアメンボも、岩石も地球も、そして、私たちも原子からできているのです。

では、原子は何からできているのでしょう?

原子よりも小さな世界への挑戦は、おおよそ100年前に始まりました。舞台はヨーロッパです。

【原子核は原子に比べてとても小さい】

「原子核の発見」はラザフォード博士らのグループによってなされました。ガイガー博士とマースデン博士は、金箔にアルファ線を照射する実験を行いました。すると、アルファ線がごくまれに後方に散乱されることが分かりました。ラザフォード博士はこの実験データの解釈として、「原子の中にはとても小さな核が存在する」という結論を与えました。1911年のことです。

ちなみに、ラザフォード博士は、元素変換および放射性物質の化学研究で1908年にノーベル化学賞を受賞しています[1]。このことについて、中務孝先生は「ノーベル賞受賞後に最も有名な業績を残した数少ない科学者」と彼を称しています[2]

[1] The Nobel Prize in Chemistry 1908|Nobelprize.org

[2] 中務孝 「ラザフォードによる原子核発見100周年」 化学 Vol.66 No.11 p39 (2011)

【原子核は液滴だと考えるとうまく記述できる】

原子核には飽和性と呼ばれる基本的な性質が二つあります。それは、原子核の体積が核子数に比例すること(密度の飽和性)と、結合エネルギーが核子数に比例すること(結合エネルギーの飽和性)です。これらの性質は、原子核が液滴とみなせることを示します(液滴モデル)。

この液滴モデルは、ベーテ・ワイツゼッカーの(半経験的な)質量公式、核分裂の理論、原子核の表面振動などに応用されました。核分裂や表面振動は、原子核の“dynamical”な変形現象と理解することができます。

【原子核は分裂するときがある】

ハーン博士とストラスマン博士は、ウラン(U)に中性子を照射すると、バリウム(Ba)ができることを実験的に発見しました(1938)。この奇妙な実験結果の相談を受けたマイトナー博士は、フリッシュ博士と議論を重ね、核分裂のアイデアに到達しました(1939)。この核分裂の理論は、フリッシュ博士からN.ボーア博士に伝えられ、後に、N.ボーア博士とウィーラー博士は液滴モデルも用いた核分裂の記述に成功します(1939)。

[1] W.V. Oertzen, Nuclear Physics news, Vol.26 No.3 p30-p32 (2016)

【核子は原子核内で自由に飛び回っている】

準備チユウ。。。

【恒星を光り輝かせているのは核反応だ】

準備チユウ。。。

【元素はどんな核反応でできたのだろうか】

【原子核は“変形”し“回転”するのだ】

原子核の殻模型で記述できない問題の一つに、極めて大きな電気四重極モーメントがありました。特に希土類領域の原子核では、殻模型計算からの予測値の何十倍にも及ぶ電気四重極モーメントが観測されました。この現象をレインウォーター博士は、原子核が楕円体のようにゆがんでいると考えることで説明できると発表しました(1952)。この発見は、原子核の“statical”な変形の裏付けとして、衝撃を与えました。この変形現象には、多くの核子が携わっていて、集団運動と呼ばれるようになりました。

※レインウォーター博士は、ミュオン原子X線による原子核半径の測定でも顕著な業績を上げています。

A.ボーア博士とモッテルソン博士は原子核の集団運動の理論的礎を築いた物理学者です。彼らがコペンハーゲンにいたときは、彼らの下に原子核構造・原子核反応の研究者が集い、活発に研究が進められたそうです。※ボーア博士は“量子論の父”と称されるニールス・ボーア博士の息子です。

彼らのノーベル賞受賞講演や著書では、原子核の深遠な世界が解説されています。特に、原子核の変形や超流動性を「自発的対称性の破れ」の観点から論じている点が興味深いです。

Nuclear Structure: Single-Particle Motion/Nuclear Deformations

ボーア博士とモッテルソン博士による著書です。第I巻が1粒子運動に関するもので、第II巻が原子核の集団運動に関するものです。式もたくさんありますが、図もたくさん載っています。

Aage N. Bohr 「Rotational Motion in Nuclei」|Nobel Lecture

Ben R. Mottelson「Elementary Modes of Excitation in the Nucleus」|Nobel Lecture

ボーア博士とモッテルソン博士によるノーベル賞受賞講演です。PDF版が無料で公開されています。邦訳は中村誠太郎・小沼通二 編で講談社から出版されています。

【中性子スキン、中性子ハロー】

原子核-原子核衝突や核分裂による破砕片に含まれる不安定核を分離し、二次ビームとして実験に用いることが加速器技術の発展により可能となりました。そのため、現在では、この二次ビームを用いた不安定核の実験研究およびそれに関連する理論研究が盛んに行われています[1,2]

その始まりは約30年前にさかのぼります。谷畑勇夫先生らは1980年代にアメリカのLawrence Berkeley National Laboratoryの加速器Bevatron/Bevalacで不安定核の核半径を決定する実験を行いました。この実験では、原子核-原子核衝突(入射核破砕反応)の破砕片を二次ビームとして用いて相互作用断面積を測定しました。実験により、いつくかの中性子過剰核(11Liや6He)での半径の異常な増大が発見されました[3]この異常性は、安定核で知られていた半径の質量数依存性(半径はおおよそ質量数の1/3乗に比例する)からのずれを指します。

1987年には、僅少の分離エネルギーが断面積の増大を生むことが理論的に指摘され、「ハロー(halo)」と呼ばれました[4]。その後の研究で、9Liの運動量分布が狭いことが確かめられ[5]、11Liの半径の増大は変形の効果ではなく、中性子ハローが原因であること、そして、その中性子ハローが低角運動量の弱束縛中性子が核の外側まで浸み出していることにより生ずることが認識されました。谷畑勇夫先生は、このときの発見を懐古し、「はじめて不確定性理論を自分たちのデータの中に見ました」と語っています。

[1] 谷畑勇夫 「不安定核ビームによる核構造研究の夜明け頃」 原子核研究 Vol.58 Suppl.1 p245 (2013)

[2] 谷畑勇夫 「不安定核ビームによる核構造研究の軌跡のひとつ」 原子核研究 Vol.58 No.1 p1 (2013)

[3] I. Tanihata et.al., Phys. Rev. Lett. 55, 2675 (1985)

[4] P.G. Hansen and B. Jonson, Europhys. Lett. 4, 409 (1987)

[5] T. Kobayashi et.al., Phys. Rev. Lett. 60, 2599 (1988)